Vol.15 ソーシャルサイト

 ウエッブが新聞・雑誌などのような社会的に大きな影響力をもったメディアになることはあるのだろうか。ネット上に社会メディア「ソーシャルサイト」ともいうべきものができないものだろうかと常々思っていたら「アメリカ・メディア・ウォーズ」(講談社現代新書)という本で、米国ではすでにネットオンライン報道機関が多数生まれている事を知った。

 旧来の新聞社がデジタル版を出すというのと違って、独立した組織、NPOなどがオンラインだけで展開しているデジタル時代ならではの全く新しい動きだ。中にはピュリツアー賞を受賞するところも出るほどの実績と信頼を獲得しているという。

 その中の一つ、「ハフィントン・ポスト」の日本版を朝日新聞が運営している。内容は本家のスタイルを踏襲して朝日デジタル版のニュースや海外からの投稿、各界の専門家のブログなどを総合的にまとめている。開設して半年ほど。現在の訪問者は月間600万という。さてこれが日本でも成功するかどうかだ。かつて「オーマイニュース」というウエッブ報道サイトが日本で開設されたことがあった。編集長だった鳥越俊太郎氏は、「落書きのような掲示板とは違って編集者が責任を持って運営するウエッブメディア作りを目指す」という趣旨の抱負を述べていた。が結果はわずか3年余りで閉鎖となった。要は人を引き付ける魅力を創りだせなかったのだ。ウエッブの特性に期待しすぎた「市民みんなが記者」という安易なコンセプトにも問題があったと思う。

 前掲の本によれば米国のオンライン報道機関は新聞社などのメディアで経験を積んだ記者や編集者などが集まって立ち上げたり、組織に参加している。独自の取材ネタ、社会的にインパクトのある特集など内容的なもので勝負をしているという。その上にそんな既存メディアでは得られない内容やその活動を物心両面で支える多くの支援者がいることで成立しているようだ。はたして日本でウエッブメディアの「ソーシャルサイト」ができるだろうか。メディア側とともにネット参加者の質が問われている。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

Vol.14  いいね!

 安倍首相の靖国神社参拝に対してマスメディアはいずれも隣国との関係をさらに悪化させ、ひいては東アジアの不安定化が世界的な不安を惹き起こす危険性があると批判的な報道姿勢をとっている。秘密保護法の強行採決への反発が冷めやらぬ中でのいわば独断的靖国強行参拝である。奢りの見える政権に危うさを感じる世論が一気に高まり、このことが政権の躓きとなるという予測をするところもでていた。だが現実はちょっと違う展開となっている。靖国参拝直後、安倍首相のfacebookで「いいね!」が2万件を超えたという。この数字は首相就任時以来の高い記録だという。さらにYahoo!のネット調査でも参拝支持がおよそ80%に達し、TBSやテレ朝の生番組の中で受けた視聴者の声でも支持が不支持を圧倒するという結果となったという。

 マスコミの「世論」とネットの「世論」とのかい離はこれまでにも見られたことだが今回ほどの明確な違いはなかったように思う。もともとマスコミ的にはネットは別世界という意識がある。ボタンをクリックするだけでの調査に正確性や信憑性がないといった理由をつけて無視、あるいは所詮「ネトウヨ」のたわごととして取り上げることは無かった。しかし明らかに状況は変わっているのではないだろうか。例えば秘密保護法をめぐってマスコミ各社が世論の80%以上は反対と伝える中、ネットニュースJCASTの調査では支持が55%を占め、ニコニコ動画でも36%が支持だったと伝えている。沖縄の辺野古埋め立てをみとめた知事判断についてYahoo!の調査は70%以上が妥当としている。ちなみに琉球新報の調査では不支持が61・6%である。もはやこれらの現象が単にネット派のマスコミ嫌いの表れとかお祭りさわぎといったことだけで済ますことはできないだろう。

 朝日新聞の調査でも明らかに20代30代の人たちの靖国参拝の支持率は高いし、安倍首相のコメントと同じような理由を挙げる人が多いことに驚く。若い人たちの意識は静かに変わっているのである。戦前、新聞マスコミが世論に迎合するようになったのは「批判的な論調では売れなくなった」ためという。ジャーナリズムを語る以前に経営の問題が理由だったとの見方がある。さてネット世論の勢いに直面してマスコミの安倍政権批判が少しトーンダウンしているように思うのは私だけだろうか。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

Vol.13 秘密は秘密

 ねじれ解消、決められる政治とかいう大合唱に乗せられたことでいずれこんなことになるだろうとは危惧していたが、どうにもやりきれない。秘密指定の曖昧さ、恣意的な拡大解釈を許す危険性、報道の自由、思想信条の自由や基本的人権を侵害する恐れも極めて高い特定秘密保護法である。国民の反対の声が日増しに高まり、抗議行動も広がっているという最中に審議を打ち切り強行的に可決成立させたのはどう考えても許せるものではない。しかも成立を急いだのは今国会を逃すと消費税引き上げなどに伴う経済情勢の変動や政権支持率の変化などから成立が読めなくなるからだという単純な理由からだとまことしやかに言われている。はじめから国民不在で、できるだけ内容は秘密にしたまま成立させたいという狙いが見え見えである。可決成立した後になってから政府は盛んに「説明が十分でなかったので施行までの間に国民の理解を得るよう努力する」とか、「懸念や不安を払しょくするための二重三重のチェック体制を整備する」ので安心しろといった発言を繰り返しているのは自らそれを白状しているようなものだ。

 そもそもこの法案は外国と情報を共有するためには諸外国並みの国家機密保護の法整備が必要なのだと言う説明から始まったように記憶する。本当に日本がスパイ天国なのか良くわからないが機密管理の強化も必要なのかというのが一般的な受け止めだったように思う。それが出て来みると「今世紀、民主国家で検討されたもので最悪レベル」の国民の知る権利を制約する可能性のある怪しい法案であったのだ。すでに二重三重の嘘をついているのである。しかもこの裏ではこの法とリンクする国家安全保障戦略の政策指針に「愛国心」を育むことを明記することで着々と動き出しているという。国益、国防、安全保障といった掛け声の下で秘密が増え一方で国民の思想教育が進められるというのは妄想だろうか。

 それにしても政治の世界はどうしてこうも単純に数の論理だけで動く世界となったのだろう。与党議員だからといって黙って賛成票を投ずる神経はどこからくるのか。全員が本心からこの法案を支持しているとしたらそれはさらに恐ろしいことだが、ブラック企業の社員のように文句も言えずただ上の指示通りに動かされているとしたら議員も落ちたものだ。顔の見えない議員ばかりが多数を占める国会の暴走を止める手立てはないのだろうか。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

Vol.12 秘密保護法

 どう考えても怪しげな法案である。どうみても国家機密の指定、解釈すべてにわたって時の政権が恣意的に自らに有利なように運用できような内容である。成立してしまえばまさに歯止めが利かなくなる危険性が極めて大きなものだと思う。だが現実は着々と法案成立に向けてカウントダウンが始まっている。もはや止めることができないのだろうか。最低限必要だと思われる指定機密の限定や公開期限の設定、さらに機密の正当性や評価などを求める声にも一切耳を傾けない安倍政権がここまでこの法案の成立にこだわるのはなぜなのだろうか。それだけ隠したい何かがあるのだろうか。何か別の目的があるのだろうか。

 澤地久枝さんが書いた「密約」という本がある。ご存知のように沖縄返還を巡って日米間に密約があったと当時の毎日新聞記者西山太吉さんがすっぱ抜いた外務省秘密漏洩事件の話だ。本はいかに政権側が真相を暴く側の「知る権利」や「表現の自由」などの論議から話をずらし、「女性外務省職員との関係」というスキャンダルに落とし込めて真相を隠したかを克明に描いている。結局西山氏は最高裁で有罪が確定し、澤地さんは「国家秘密を取材した記者が罪に問われる法律があるなら、国会と主権者に対して欺瞞と背任を行った政治家を告発する法律があってもよさそうなものである」と書いている。

 その後米国の情報公開でほぼ真相が明らかになっても、政権が代わって民主党政権になっても「密約」は無かったという日本国の姿勢は変わっていない。国家とはそういうものである。そんな国家に西山さん一人挑み闘い続けた。これまでのご苦労を思うと頭が下がるばかりだ。その西山氏が参議院で参考人として呼ばれ「外交交渉のプロセスをいちいち公開する必要はないが、結論は全部国民に正確に伝達しなければ民主主義は崩壊する」と訴えたと新聞が報じている。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

Vol. 11 カジノ 

 東京でオリンピックが開催されることが決まったことに合わせてカジノを作ろうという声がにわかに高まっている。お隣中国のマカオが今や本場ラスベガスを抜いて世界最大のカジノ地区になったそうでシンガポールやオールトラリア、韓国さらにマレーシア、フィリピンなども参入してアジアのカジノ市場は急拡大しているという。そこで日本もカジノを海外からの観光客を呼び込む切り札にして同時に周辺に宿泊施設や会議場、ショッピングセンターなどの施設も整備して、雇用の促進や税収の拡大につなげれば日本の経済も活発化するというのが促進派の皮算用だ。個人的にはあっても良いかなと思う程度だがどうもこの手の話はすぐに箱もの行政的な施設の話や、収入規模が00億ドルといったお金の話になって、興味が殺がれる。都市国家的マカオやフィリピンがカジノに懸けるのは分かるし何にもない砂漠の土真ん中にあるラスベガスも意味があった。日本に作るなら単純に地域開発とか金儲けだけでない何か理屈が欲しいということだ。

 このままいけば、借り物の別世界がもうひとつ出現するだけのような気がする。おなじ借りものでもディズニーランドはそこにディズニーの思想や文化が流れているからまだいいが、カジノにそれはあるのだろうか。ラスベガスを真似たものかマカオ的なのか分からないがいま都市郊外に出現しているはカジノのミニ版のようなパチンコ店の巨大施設ができるだけなら面白くない。ギャンブルやるのに屁理屈はいらないかもしれないが、どうせならここに遊びの文化、社交の文化さらに都市の文化が花開くようなことになればいいのだが。江戸の吉原のような世界ができないものかと夢想する。


小西洋也(こにし・ひろや)

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Vol. 10 シリアの春

 シリア情勢が混迷を深めている。40年にわたるアサド父子による統治、やはり「権力は腐敗する」ということかと当初は国際世論も単純に反体制派の動きを応援してみていた。実際多くの報道はアサド政権側の反政府勢力に対する強硬な軍事攻撃を非難するものがほとんどで、アサド大統領の退陣は当然という雰囲気が圧倒的だった。だが毒ガス化学兵器による犠牲者が出たころからその見方に変化が出て来た。毒ガスを使ったのは政府軍であるという確証がなく、逆に反政府側かもしれないという疑念がでて来たからである。真相はわからない。しかし毒ガス事件以後明らかに反政府勢力の残虐行為などを指摘する報道も増えている。米国が軍事介入を思いとどまったのはその意味で良かったのかもしれない。そのまま軍事介入したらアサド政権=悪、反政府運動=善という図式のまま進み真相はますますわからなくなったかもしれないからだ。

 ここで指摘したいのは、アラブの春の背後にある情報戦争だ。特に誰もが簡単に全世界に向けて映像情報を配信できる時代である。ショッキングな映像に目を奪われ、その情報の真偽あるいは中身の検証などがないままに映像だけが独り歩きすることもある。情報そのものがある方向を持った意図的なものである場合もある。どうも中東の歴史をみると外の世界と内部の思惑や力によって動かされることが多いようにみえる。内部というか外部というか今は特にイスラム原理主義過激派組織の動きが絡まっているからややこしい。イラク、エジプト、リビア、チュニジアいずれもいまだ混乱が続いているのもこのためだ。最後は本当にその国の国民が望む世界に向かっているのかどうかという視点で見てゆくしかない。


小西洋也(こにし・ひろや)

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Vol. 9 だまされること 

 このところずっと気になって探していた本がやっと見つかった。映画監督伊丹万作の「戦争責任の問題」というエッセイだ。何が気になっていたかというと彼は「だまされるということ自体がすでに一つの罪である」というようなことを言っていたと記憶していたからである。わずか数ページの短い文章だが初めて読んだ時のショックを思い出した。

 彼は「だますものだけでは戦争は起こらない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない」と指摘して、(戦争の)責任を軍や官にのみ負担させて自分たちはだまされていたと自分たちの罪を反省せず平気でいられる国民ならば、「おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや現在でもすでに別のうそによってだまされはじめているに違いないのである」と書いている。そして「二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない」という。

 原文は1946年の「映画春秋」8月号掲載とある。60年以上も前である。はたして我々は彼が言うように二度とだまされないために「脆弱な自分を解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を」してきただろうか。憲法改正、消費増税、原発再開、NISA、TPP、アベノミックス、秘密保護法などなど、政治経済社会世の中騒がしい。彼の分析と予言が当たらなければと改めて思う。


 

小西洋也(こにし・ひろや)

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Vol. 8 半澤直樹 

 もはやテレビの時代は終わったと言われて久しいと思っていたら、突如NHKの「あまちゃん」とかTBSの「半沢直樹」が大ブームだ。テレビ離れしていたと言われる若者たちを含めてテレビへの注目が一気に高まっている。やはりテレビの底力は依然大きい、良い作品があればテレビのメディア力は発揮されるということで、消えゆくメディア産業とまでささやかれていたテレビ業界がにわかににぎやかになっている。だが話はそれほど単純ではないような気がする。

 確かに高視聴率を獲る、というのはその作品が視聴者の心をつかむ何か大きな力を持っているということ。だが逆に視聴率が高ければ良いドラマかというとその評価は分かれる。「半沢」の内容がそれほど良かったとは私にはどうしても思えない。それでも最終回の視聴率が40%を超しているとなるとこれは単に番組の良し悪しとは違った別の要素を考えなければならないのではないか。

 テレビは今でもリアル視聴が前提でありせいぜい録画による視聴までだ。だが今はスマホの時代である。視聴者はテレビを見ていなくても、その情報だけは映像を含めてリアルタイムでやりとりしている時代だ。作品を頭からじっくり鑑賞するというよりは部分部分の情報を愉しむという視聴に変化している。時としてその情報は番組を離れた話題となって駆け巡る。それでもテレビに戻ってくれれば局としては良いことには違いないが、テレビが話題つくりの材料提供メディアになってしまっては元も子もない。

 


 

小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

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Vol. 7 企業減税 

  安倍首相が「決まっていた」消費税の増税実施を前に、如何にも国民のことを考えていますというような気を持たせる発言をしていたと思ったら、今度は合わせて実施するという法人税の減税についてまた何やら言い出している。減税分を賃上げなどに回すよう企業に要請することを検討しているというのだ。 企業優遇批判をかわそうという狙いと経済景気対策だというのだが、このような話を首相以下主要経済関係閣僚の会議でしているというのでさらに驚いた。しかも記事(朝日新聞)によれば企業に減税分を何に使ったか公表の義務化も考えているという話も出たというから思わずのけぞった。そんなことが本当に可能と思っているのだろうか。主要閣僚が集まってそんな稚拙な論議をしていると思うと、この人というかこの政府は本当に大丈夫だろうかと思わず言いたくなる。

以前、消費税上げを決めた時、小売店に対して「消費税分3%を値引き」とか「増税に負けない」とかいったセールスを禁止するとの通達を出すとか出さないとかの論議もあった。結局は立ち消えになったようだが、今回の企業への要請か義務化も最初から筋が通る話ではない。あの麻生副総理でさえ「日本は共産国ではないので政府に言われて賃上げする企業はない」と言っているようだから分かっているとは思うのだが、なぜこうも同じようなことを繰り返すのだろう。単純に弱き国民への配慮や人気取りではないだろう。

 そういえば憲法改正を巡る論議の中で指摘されるように、この人は変に国のためとか公共のためと権利より義務の精神論を強調している。この人、政府政権はすべてにわたって指導者的立場にあると思っている、あるいは思いたいのかもしれない。考えるのは政権、国民、企業は言う通りにということがどこかにあるとすれば笑っていられる話ではない。 


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Vol. 6 東京五輪 

 2020年オリンピックの東京招致を喜ばない人はいまや非国民呼ばわりされるそうで書きにくいが、この国を挙げての喜びようと騒ぎようは少々異常ではないだろうか。もちろん厳しい招致競争を勝ち抜いて選ばれたのである。しかも地球規模の大イベントを開催することで東京が日本が世界の注目を浴びることになるのである。久々の明るい希望の持てるニュースである。興奮しない方がおかしいという訳だろう。だが待って欲しい少し前までオリンピック招致の賛成派は40%程度ではなかったか。

それがなぜ急にこんなにも関心が高まったのか。キーとなったのはやはりマスコミ、テレビであり、そのマスコミの使い方の旨さにあったように思える。誰がそのシナリオを描いて動いたのかは分からないが、猪瀬知事が言うように「オールジャパン」の意識を作るためにこれまでにない綿密かつ緻密な戦略が展開されたのは間違いない。IOC総会が近付くにつれてマスコミが連日大騒ぎしはじめて関心が一気に高まった。最終プレゼンが駄目押しである。日本のプレゼンがこれほど世界をうならせるほど旨いとはとは別の驚きと発見でもあったが、結局はこの「シナリオ」にのせられて、視聴者はサッカーの国際試合をみるように日本を応援し、その試合結果を固唾をのんで待つことになった。

 その興奮いまだ収まらずというところだが、関心は早くも建設特需や外国人観光客の増加、消費の拡大などなどオリンピックの商業的経済効果に向かっている。実はそれがオリンピック招致の最大の目的だということなのだが、いまさらそんなことを言っても始まらないか。でも一つだけ良いことはある。安倍首相が世界に向けて「原発事故はコントロールしている」と見栄を切ったことだ。これが原発事故の現実を見詰め直す機会になったのは唯一のプラス面だ。連日原発事故の報道が始まった。


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現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

 

Vol. 5 例え話 

 新任の内閣法制局長が朝日新聞とのインタビューで集団的自衛権は「隣の家に強盗が入って危ない時に、助けに行く」ようなものだという主旨の例え話をしていたのを読んで、何か引っかかっていたら、その後読者の声欄に「戦争を強盗に例えるのはそもそも適切ではない」と稚拙な論法を批判する投書があった。その通りである、確かに適切な例えではない。だが待てよ、問題は例えの良し悪しではなくて、このような例え話に耳目が奪われることにあるのかもしれない。それによって話が本質論議からずれる所にあるのではないか。

思い出せば小泉政権時代は「人生いろいろ」から始まって最後まで国会の場でも私的な場でも詭弁、珍答弁に終始した。お笑いブームのせいだろうか芸人の話芸のように機転の利いた話ができるのが頭の回転の良い人だとみられ、当時自分も含め多くの人が小泉首相の国会答弁を漫談を聞くかのように愉しんでいたのである。しかしその中で国の根幹にかかわるようなイラクへの自衛隊の派遣などが実行され既定事実化していった。

 さて現在状況は変わったのだろうか。ワイマール憲法に関する麻生氏の発言とその後の居直り発言や橋下氏の慰安婦問題に関するやりとり弁明などをみるとあまり変わっているようには思えない。最近影を潜めたが憲法改正を96条の変更から入ろうというような姑息な手法も根は同じと言えるだろう。例え話や宴席での雑談はわかりやすく面白い。だがその表面だけに目を奪われないようにしたいものだ。物事単純化したり、分かり易くした時にこそ喋り手の本音が現れるのだから。


 小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

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現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

Vol. 4 ビッグデーター 

NSA(米国家安全保障局)が密かに個人情報を収集していたというスノーデン元CIA(米情報局)のリークは西側諸国間に微妙な疑心暗鬼を募らせさらに米国とロシアとの外交関係にも影を落とし、さらにその暴露報道をめぐって国家とメディアの対立が激化するなど様々な波紋を広げている。そんな中、日本では「ソニーがフェリカ(非接触ICカード技術)の利用データをもとにビッグデータ分析事業に参入」「NTTデータがオラクルと提携してツイッターの分析事業に乗り出す」といったニュース(日経新聞)が相次いでいる。単純にビッグデータの利用ビジネスが次代の成長産業になるという期待感であふれている。

 記事によればいずれの企業もこれまで単にスムーズに利用できるように管理していた情報データが実は巨大な宝の山(ビッグデータ)であることに気づき、しかも他社よりも早く圧倒的に多くの情報を収集できる優位な立場にあることからそのデータを旨く利用しようと乗り出すようだ。例えば購買履歴情報などを分析し、新製品の開発などのデータとして提供すれば新ビジネスが立ち上げられると考えている。日経によればビッグデータ市場は2020年に1兆円規模に拡大するという。

 もちもん不特定多数の人の利用データを特定企業が再利用することについては個人情報保護の観点から抵抗や論議はあるという。だが問題はそこではないのではないか。デジタルデータはこのような形でいつでも収集分析することが技術的にはできるのだということである。それを企業がやるか国家がやるかの違いだけだ。デジタル時代の危うさを認識しておいた方がいいように思う。とはいえこの時代自己防衛の方法があるのだろうか。


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現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

 

Vol. 3 首相の中東歴訪

 安倍首相は如何にもタイミングが悪いときに中東の旅に出ることになったものだ。春のUAE(アラブ首長国連邦)、サウジアラビアに続いての中東訪問ということで、中東外交の仕上げということだろうが、ご存知のようにその後エジプト情勢が急展開、内乱の危機すらささやかれる状況である。このエジプトの現状にどのような立場をとるかがいまの周辺イスラム諸国のみならず西側諸国にとっても大きな問題である。日本はあくまで中立的な立場で騒乱回避を表明することに終始するだろうが、今回訪問するバーレーン、クウェートとカタールの対エジプト姿勢が異なり、相互関係も微妙なのだ。

 クウェートとバーレーンは先のエジプトの軍事クーデターを支持し、カタールはムスリム同胞団の民主化を支援している。エジプトの軍事クーデターを支持する国の最大の理由はイスラム原理主義を語りながらの民主化の波が自国に波及することを恐れるということにある。しかしカタールは早くからイランとの関係を持ったり、シリアの反体制派を支援したりして周辺国を刺激している。それゆえサウジアラビアやUAEを含めた周辺国との関係も微妙だ。

 「アラブの春」の評価も定まらず不安定化する中東情勢のなかで全世界がいま踏み絵を迫られているようにみえる。今回の訪問には多くの財界人も同行するという。しかし経済やビジネスということだけで中東諸国と付き合える時代はとうに終わっているようにみえる。

 


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

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 Vol.2 エジプトの夏 

「アラブの春」という命名がどうもいけない。長期の独裁政権から解放されるという意味では確かに「春」かもしれないのだが、その後に独裁政権の打倒がイコール民主化であるような見方を単純に広め、さらに民主化はすなわち我々と同じ西側の近代国家社会の価値観を共有する世界であるという短絡的な期待を多くの人に抱かせているからだ。


 その誤解が端的に表れたのがエジプトだろう。長期独裁を続けたムバラク政権を打倒し、民主的手続きの下で選挙がおこなわれイスラム色の強いムルシ大統領が選ばれ、新生エジプトが船出した。だが今度はイスラム化に反対する世俗派がムルシ政権はイスラム独裁だとして反旗を翻す。結局先の独裁政権の後ろ盾であった軍の介入でムルシ氏を追放、軍の下での暫定政権が発足した。ムルシ体制反対派は軍の介入を歓迎しクーデターではないという。しかしムルシ氏支持派は選挙で民主的に選ばれた政権を軍が力ずくで追放したとして抗議の座り込みを続ける。

民主化というのは何をもっていうのだろうか。世の中すべて西欧近代思想をベースとする国家ばかりではないということは分かっていてもどうも「春」「民主化」というとすぐに西側諸国を思い浮かべる。それはイスラム世界では世俗化を期待するものだろうが、イスラム原理からは許せない世界である。共和制でイスラム色を払しょくしてきたトルコで90年あまり経っていままたイスラム化と世俗化のせめぎ合いが起こっていることをみると簡単に答えは出てきそうにない。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。1966(昭和41)年、海城高校卒。

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現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。

 

 Vol.1 消費税

 来年4月から消費税が8%に引き上げられるーと誰しも思っているのに安倍首相は秋に上げるか据え置くか最終決定するとなんだか気を持たせた言い方をしている。そこに乗って一部では据え置きの可能性を期待する声もあるようだが、どうもこれは政権政府のメディア戦略、やらせ劇に思えてならない。

 先の参議院選挙の争点が「決められる政治はねじれ解消」といった自民党の戦略にはまったのと同じで、いまメディアはもっぱら消費税上げそのものの是非を掘り返すよりはその実施時期、効果などを分析する特集や解説に向かっている。結果消費税上げは必要であり何としても実施するべきだという流れを作っているように見える。

 もともと天下国家を論ずるメディアには国家の財政破たんを招かないためには消費税上げはやむを得ないとの考えがある。それゆえに消費税全面否定の論調はとりにくいのだが、問題は消費税しかないのかということだろう。ほんの少し実施時期をずらすとかずらさないかというのは大きな問題ではない。消費税上げは財務省と組んだ自民政権のいわば悲願みたいなもの。というか戦後の国家体制をそのまま維持して行くための既定の路線の延長線上にある一番簡単な選択肢だろう。今問われるのはそれで良いのかということのようにおもうのだが。


小西洋也(こにし・ひろや)

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