vol33.スペシャルオリンピックス

オリンピックはやはりすごいイベントだと改めて思う。なんやかや批判や問題があってもこれだけの興奮と感動を全世界に与えることのできるイベントは他にない。気がついてみればテレビの前に居続ける自分が居る。男子400メートルリレーには正直涙が出るほど感激した。しかし問題はここからである。メディアが発達しすぎた現代では一人で記憶の世界に浸る楽しみを奪ってしまう。とりわけテレビがこぞって「あの興奮や感動、感激をもう一度」とばかり、その一瞬の出来事をこれでもかというほど繰り返して流し再生すると個人の頭の中にあるイメージは編集された映像情報に書き替えられ、興奮や感動感激までも皆で共有させられるとなると天邪鬼としては白けてくる。しかも「この興奮感動感激を東京へ」と駆り立てられるとなんだかパンとサーカスに踊らされた(踊った?)帝政末期のローマを想起させる。ゲームのキャラクターに扮して東京をアピールすることに同意し、実際に実行した為政者にとってはあながち冗談ではないのかもしれないが、オリンピックを国威発揚とナショナリズムの高揚に利用しようという意図があるとすれば恐ろしすぎる。少し落ち着た方が良い。

 

そんなことを思っているとき、同じオリンピックといってもスペシャルオリンピックス(オリンピックにSがついているのはオリンピック・ゲームスの略)というのがあることを思い出した。日本ではあまり知られていないが、ワシントンに本部を置く民間組織が主体となって開催している知的発達障害者の世界的スポーツ大会である。2005年に、長野冬季オリンピックの後、日本で初めてとなるスペシャルオリンピックス第8回冬季世界大会が開かれ、私はこの時初めてこのようなイベントのあることを知った。オリンピックの名前を公式に使うことを許されるほどすでに世界的に認知され支持されているイベントとなっているということに驚き、目を開かされた。さらにその時このスペシャルオリンピックスを開催するということは、その国やその都市のリーダーにとってはオリンピック以上に名誉なことであって世界的に評価されることだと言われていたのが強く印象にのこっている。

 

言われてみれば当然である。ここで問われるのは観客をひきつけ沸かせることではなく、知的発達障害者を輝かせることなのだから。彼らを受け入れ、支え、能力を引き出し、生き甲斐を提供するという開催国の国民およびその時のリーダーの本気度なのだ。その意味では日本でこのスペシャルオリンピックスを開催したということは長野県および国にとって画期的なことだったといま思う。あれから10年余、オリンピック熱に浮かれている中、相模原障害者施設で起こった非道な殺戮事件はあまりに衝撃的だ。この事件を特定個人の一犯罪にとどめようとし、社会、国さらには全人類の問題として捉えるといった視点からの対応を示さない全体のあいまいさがさらに不安を増長している。この事件は日本における知的発達障害者のみならずハンディキャッパー、マイノリティ、弱者に対する行政あるいは社会の意識が良い方向に向かっているというよりも悪化していることを思わせる。それでもあるいはそれだからか、いま日本のスペシャルオリンピックス関係組織は次回2019年の夏季世界大会を日本で開催しようと動いていると聞く。4年後のオリンピックの開会式の場に誰が立つことができるかというようなことで騒いでいるような日本で、果たしてこの「名誉」という対価だけのもう一つのオリンピックを引き受ける覚悟のあるリーダーは現れるのだろうか。