VOL32. いい独裁

組織の中ではなんで自分の意見や提案が思うように受け入れられず実現できないのか悩むことは多い。良かれと思っている企画や提案も稟議だ、会議だという過程を経るうちに決まらないまま消えてゆくということはよくあることだ。文句ばかり言って自ら動こうとしない連中が上にも下にもいるとなればなおさらだ。そんなとき、もし自ら決定し、その実現に向けて組織を思うように動かせたらどんなにいいかと誰しも考えるものだ。あるいは自分にその力はなくとも、自分の思いを代わって決断し実行してくれる強い決定権を持ったトップがいる組織だったらどんなにかいいかと思ったりする。「いい独裁」もあるのではないかと。

 

だがはたして独裁的な力をもった強いリーダーがいる組織がいいことなのだろうか。最近相次いで絶対的な権威権限を持って会社を牽引してきたカリスマ経営者がその表舞台から身を引くというニュースが報じられた。一人はコンビニ業界の神様と崇めれたセブンイレブンの鈴木敏文会長であり、もうひとりは自動車業界の風雲児スズキ自動車の鈴木修会長である。退場の理由はそれぞれ違うものの、どちらも企業を成長させる原動力となった「いい独裁」が限界に達し、そのマイナス作用がはっきりし始めたからではないか。

 

ある民間組織が昨年末、セブンイレブンを今年のブラック企業大賞に選んだ。マスコミ的には訳のわからない団体とみたのか、批判の相手がセブンイレブンということからか取り上げられることはなかったが、その受賞理由に本部に批判的なフランチャイズの店主が排除されているということがあげられていた。真偽のほどはよく分からないが、カリスマ化した会長の意向に沿った形で動く企業行動にほころびが露呈し始めていたのは間違いない。40年近くに亘ってワンマン経営をしてきたカリスマ経営者が退かざるを得なくなったのは、これまでの絶対権力のもとでの組織維持が限界に達したことを意味しているのではないか。

独裁体制の下で組織が思考停止になり硬直化したものになってこのままでは生き延びられないという危機感の表れではないだろうか。両社のなかでものを言えない息苦しさを指摘する人は多い。

 

強い権限を持つリーダーの何が問題かといえば、ワンマンに結びつき、それを支持する取り巻きができ、時にそのリーダーの権力を笠に動きだし、イエスマンばかりが集まった絶対的多数派体制を形成してゆくことにある。これはその体制の内側に居る人にとってはこれほど居心地のいいところはないと思えるが、逆にそのような体制に同調できず批判的である人にとっては物言えぬ世界となり、反発を表にだそうものなら、敵対者として徹底的に攻撃し排除されることになる。さらに往々にしてそのようなリーダーをマスコミが「成功者」として持ち上げるのでそのようなトップリーダーはいつまでも常に自分は正しいと思い込み、長期に亘ってその座に居続けるということになるのである。

リーダーの明確な決断と指示に従って、組織がまとまって目標に向かって動くことは大きな力であるし効率的に目的を達成できることもあるかもしれない。しかし強いリーダーの下で絶対的多数派を結成し、決断実行の効率性を求める組織がやがて独善的独裁体制へと向かうのは企業も国家も同じだ。

 

そんなことを考えていたらトルコでクーデター未遂事件が起こった。一時は「いい独裁」とみられた指導力のある大統領のエルドアン氏の下で独裁色が強まっていることに批判的な軍・警察の一部が反旗を翻したということのようだが、企業はダメならやり直しもきく。だが、国家はそういう訳にはいかないということは今回のトルコもそうだがこれまでの歴史が示している。「いい独裁」などというものは絶対にないのだ。