Vol. 3 「オリバー君大騒動」顛末記

 海原メディア会ブログとの付き合いも、あっという間に三ヶ月が経過した。

 今日は徳光和夫君との最初の仕事となった今は去ること四十年前の「オリバー君」事件の内幕の一切をここで暴露することにする。当時、大人気テレビ番組だった日本テレビ「木曜スペシャル」の特番として企画されたものであるが、小生はプロデューサーとして番組制作に関わり合うことになった。

 そもそもは、小生のニューヨークの弁護士の友人が、コンゴ上流で奇怪な生物を発見し、保護しているという情報を持ちこんできた。彼の情報によるとどうも生物の正体は人間と類人猿の「アイノコ」らしいという。早速ビデオを送らせて見てみると、確かに、人間ともチンパンジーともつかない奇怪な表情をしているではないか。小生は直観的に人間とチンパンジーの「アイノコ」と判断した。コンゴ上流では人間とチンパンジーが共棲し、性的行為は日常的に行われているという。然も、専門家の鑑定によると染色体は数ポイントしか相違ないという。ここで小生のプロモーターとしての本能的直観が冴えて、日本に連れてきて、テレビ番組を組むことを思いついた。

 ここからがテレビ史上まれにみる大騒動の始まりである。「木曜スペシャル」の特番として「人か猿かオリバー君」が組まれることになる。ここで、徳光和夫君が番組司会者として登場することに相成った。彼がテレビ司会者として、本格的にブレイクするきっかけの一つになった「事件」である。

 ちなみに、今をときめくテリー伊藤君は、当時テレビ制作会社のまったく無名のチンピラ新入社員で、オリバー君の食事係。毎日ダイヤモンドホテルの特別室でオリバー君にかかりきりで、彼に言わせればあまりに馬鹿げた大騒動についにキレまくり、オリバー君にバナナを投げつけることになる。しかし「オリバー君騒動」はテリー君のその後の人生を決定することになった。彼は、この時テレビの持っている破壊的影響力にはっきり目覚めさせられる。コンゴの上流からただのチンパンジーを連れてきて、「人か猿か」と銘打ってのこれだけの大騒動をデッチ上げることができるなら、今に見ていろ俺だって一発かませてやると密かに決心する。

 その後、程なくしてビートたけし君を主役にした「元気のでるテレビ」のプロデューサーとして大ブレイクしたのは、皆さまよくご存じのはずだ。彼は今でもことあるごとに「僕の今日があるのは希代の怪プロデューサー康芳夫のお陰である」と言っている。

 ちなみに、「オリバー君大騒動」の結末は、専門家の鑑定によると限りなくチンパンジーに近い生物という結論。放映翌日の朝日新聞の朝刊は、社会面トップ記事でただのチンパンジーという内容。いくら朝読戦争が激烈を極め読売子会社の日本テレビ番組をいじるにしては、あまりにも大人げない記事で満天下の失笑をかっただけだ。俗に世間で言う「ヤキ」がまわったとは将にこのことだ。

 以上が「オリバー君大騒動」の顛末である。


 康芳夫(こう・よしお)

昭和12年、西神田生れ。昭和31年、海城高校卒業。昭和36年、東京大学(教育哲学専攻)卒業。卒業後、「呼び屋」の世界に入る。

主な仕事。ボリショイサーカス、インディ500マイルレース、「オリバー君」招聘。その他、アリー猪木戦コーディネーション。

ネッシー探索隊(総隊長、石原慎太郎前都知事)プロデューサー。