Vol 19. 集団自衛権

 ニュースというのは文字通り新しいこと。その新しく起こったこと、新しく出現したこと、新しく発見したことを伝えるのが報道の原点である。もちろん報道はその新しい現象をただ流すだけでなく、その都度最大限、理解し分析して評価して伝えるのだが、往々にして次々に現れる新しいことへの対応に眼を奪われ、古くなったニュースの多くは未解決、未消化のまま消えてゆくことになる。しかも気がつけば以前からの主張とのずれが生じていたり、本質からかけ離れた枝葉のところで踊らされていたということもまま起こる。これはいわば報道が抱える宿命的な弱点といえるものかもしれない。

 

 そんな事を改めて考えたのは最近の集団的自衛権を巡るニュースを取り上げれば取り上げるほど政府の広報になっているようにみえるからだ。「諮問機関の報告書が出された」、「首相が記者会見」、「与党が集団的自衛権行使の具体的な事例を協議」・・・矢継ぎ早に出されるニュースに反応しているうちに政権のスケジュールに乗らされ、何時いつまでに決断しないといけないという雰囲気が作られている。しかも記者会見という場を使って「日本の老人子供が乗っている米艦船を日本が警護できない」といった事例をパネルを使って国民向けに説明するといったことに対してメディアは手をこまねくしかない。集団的自衛権の問題について政権はこれまで以上にメディアの特性、利用方法を考えたうえでニュースを出しているようにみえる。とすればなおさら報道側はニュースの取り上げ方、伝え方を考えなければならないだろう。

 

 ニュースを伝えないという選択肢はない。相手の土俵に乗らずにニュースの意味を伝えるためにはどうしたらいいのだろう。結局は上辺の論争に巻き込まれるのではなく地道に本質を突きつづけるしかないのではないか。そもそも集団的自衛権は我々の生命と暮らしを守るといった自衛目的のためにあるものではない。他国のためにあるいは他国に代わって合法的に武力行使できるということを認めるというものである。日本と同盟的関係にあるすべて国の安全保障のために必要とあれば武器を持って参加するというものである。政権の思惑や個別的事例の良し悪しをうんぬんする近視眼的な報道を脱して、そもそも論を徹底して展開し、ことの本質を突きながら論争を巻き起こすような報道が求められているように思う。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。