Vol.18 理系

 理研のSTAP細胞をめぐる騒動や製薬会社と大学が一緒になった臨床薬の研究の不正やデータ改ざんなど最近どうも科学者の評判がよろしくない。それにかこつけてか某週刊誌が「だから理系はダメなのだ」という特集を組んでいた。理系は研究室の狭い世界にいて世間知らずだというのがその趣旨のようだが、女性との付き合いに疎く、実社会では上司に向かないとその人格まで問題にしている。そこまで言われると理系の末席に身を置いた者としては黙っているわけにいかないが、人格は別にして確かに何かおかしい。原発を巡る論議が最たるものかもしれないが科学者の純粋性とか矜持とかは一体どこへ行ってしまったのだろう。

 「最近の若手の研究者ははじめからその研究がどれだけ利益を生み出すかとか、それだけ予算をかける研究なのか、ということばかり気にする連中が多くなった」と某大手電機企業の研究部門にいる友人が嘆いていた。もちろん営利企業の研究であり、はじめから自由な研究はあり得ないとはいえ、そのような世界でも昔はもう少し自由度があったし、変な研究から生まれたものが世に出ることもあったという友人曰く「今は大学でも土日や休みの日に研究室に出ようと思うと事前の許可を取らないとだめだというし、大学すら自由な研究ができるという環境はなくなっている。大学も効率とか成果とか問われて、そんな環境で育てば実利的な研究者が増えるのは仕方ないだろうね」とあきらめ顔だ。

 本来、科学の研究というものは真理の追究というか未知の世界を探求することに喜びと楽しみを見出してゆく世界である。しかし時代の価値観はいまや経済合理性第一である。時間がかかり場合によっては多額のお金もかかるし、しかもその成果がどんなものか分からない、すぐにお金に結びつくものではないかもしれないというような科学の研究を許容する社会的な余裕は日本のどこにもなくなっている。経済合理性とはいわば相反するような世界にある理系の世界だからこそいま余計にこの新しい価値観との葛藤が目立っているようにみえる。理系が「おかしい」原因はこの辺にあるのかもしれない。しかし考えてみればテレビ局でも自分がやりたいということよりもはじめからそこそこの視聴率を取るとか営業的に成り立つとかの「成果」を気にして企画を検討するような連中が増えている。理系を揶揄する文系も同じ立場にいることはいうまでもない。このまま経済合理性を追求することがいいのか理系の混乱は問うているように思える。


小西洋也(こにし・ひろや)

1947(昭和22)年生まれ。東京都出身。

1966(昭和41)年、海城高校卒。

1970(昭和45)年上智大学卒、日経新聞記者。その後テレビ東京、BSジャパンで報道に携わる。

現在は自由業。海原会副会長、海原メディア会会長。