Vol 2.  ラグビー日本選手権1回戦 NEC―帝京大

 世界のラグビーはものすごい勢いで変化、進化している。

今年はイングランドでワ-ルドカップ(15人制)が開催される。

20世紀の終わり頃からプロ化が容認されたラグビーの進化は目を見張るものがあり、生半可な強化では世界の列強国には歯が立たなくなっている。

 

来年のリオデジャネイロオリンピックでは7人制が正式競技として採用されるため、7人制も、5年程前とはまるで違う競技と言っていいぐらい戦術、スキルともに進化している。

 

 日本もなんとかその流れについていこうと少しずつではあるが構造改革を行ってきた。

2003年にはプロとしての参加が認められる(名目上はプロリ-グである)トップリ-グが始まり、かつての社会人ラグビーは長足の進歩を遂げた。

7人制も遅まきながら強化プロジェクトを立ち上げ、日本代表は今シ-ズン、世界のトップ16チ-ムで構成されるコアチ-ム入りし、ワ-ルドシリ―ズ(MLBのワールドシリーズとは全く違います)を転戦していて、間もなく開催される今季第5戦のアメリカ、ラスベガスセブンズに出場する。

 そんな中、トップリーグは21日に今季のファイナルであるLIXIL CUP2015が開催され、事実上の日本一(15人制)チ-ムが決まった。

昭和から平成、21世紀初頭ぐらいまでの、正月(1月)に学生も社会人も(高校も)日本一が決まり、最後に社会人と学生が…などというのは、最早、太古の昔のような日本ラグビーの日程なのだ。

 その名残とも言っていい、日本選手権は、2006年に早稲田大がトヨタに2824で勝ったのを最後に、全ての大学がトップリーグ勢には勝てないどころか全く勝負にならない戦いを続けてきた。

 強豪チ-ム同士が真剣勝負を短いスパンで複数回対戦することにも意味がなくはないだろうが、日本選手権は事実上、トップリーグファイナルの二番煎じ的になっているのである。

 

しかし、今年の日本選手権は早くから帝京大の存在がクロ―ズアップされていた。今年の帝京大の強さはシ-ズン開幕前から大学レベルでは次元が違っていた。NHKは大学選手権を例年通り中継したが、正直のところ今年ほどつまらない大会はなかった。これはNHKのスタッフも皆大会前から感じていたことだろう。

 文句のつけようのない6連覇だった。

 

 NECは今季トップリーグ10位、トップリーグは、上位4~5チ-ムの力が頭一つぐらい抜けているが61213位ぐらいまではほとんど差がない。事実、ワイルドカードト―ナメントで、NECは今季のトップリーグでの上位チ-ムを破って日本選手権の出場権を獲得してきている。正真正銘、トップリーグを代表するチ-ムの一つなのだ。

 

 そのNEC相手に、帝京大は前半、ブレイクダウン(モールやラックなどの密集のプレ-)でNECの反応の速さに押されていた。

 あっさりと先制トライを許しながらも、巧みなアタックで追いついたが、またすぐ日本代表SO田村の冷静なゲームコントロ-ルの前にトライを許し、突き放された。

 大学相手では感じることのないプレッシャーとスピ-ドに翻弄された印象である。

 本来なら強いはずのディフェンスが次々に突破されてしまっていた。

 ところが、帝京大のすごいところはゲ-ム中、そのあたりをしっかりと修正していったことである。次第にブレイクダウンで当たり負けしなくなり、ブレイクダウンにかける人数も状況によって変えてきた。ブレイクダウンに人数をかけなければそれだけアタックに人を使うことができるし、激しいボ-ル争奪戦になっていたらそんなことは言っていられないのでブレイクダウンにどんどん加わっていかなければならない。

 ディフェンスも整備され、前半の終盤、トライを奪って追いつき、後半に入ってからは常に先手先手を奪ってゲームを優位に進めた。

 そして35分すぎ、キャプテンのSH流のすばらしいグラバーキックによりトライを奪い、2820とした。その後、NECの意地の前に後半唯一のトライを許したが、ラストワンプレ-で懸命な反撃を試みるNECに渾身のタックル!NECの反則を誘い、勝利を不動のものにした。

 最終スコアは3125

 帝京大にとって初、学生にとっては9年ぶりのトップリーグ勢撃破であった。

 

 今季の(実はもう2年ぐらい前からだが)帝京大の個々の強さ、スキルの高さは、何度も申し上げるが学生相手では際立っている。

 特に、今季は1年間他大学と試合をすることで彼らは何も得るものはなかったといっても過言ではないほど差があった。

 

ラグビーが好きであるということもあるが、長く仕事としてラグビーに関わってきた私はおかげさまでいわゆる著名なラグビージャ-ナリストと呼ばれる人たちとも親交が深いが、今の帝京大なら、「関東大学対抗戦」などでレギュラ―シ-ズンの公式戦を戦っても、選手の技術をアップさせるという観点からは無意味だという意見をよく聞く。

 

 もちろん、大学ラグビーには学生スポ-ツならではの美学はあるので、それを否定してはいけないのだが、NEC戦で前半トップリーグの当りに戸惑って受け身的になったにも関わらず、それを修正して後半はむしろ押し気味に戦ったという点一つとってみても帝京大にとってはレベルが一段低い大学とやっていては身につかなかった技術がNECとの80分間の真剣勝負で身に付いていったことがわかる。

 帝京大は「昨春から打倒トップリーグ」を現実的な目標としてきたわけで、それを成就させたのはすばらしいことだ。帝京大の岩出雅之監督は大学選手権6連覇時のインタビューよりはるかに弾んだ声、と晴れやかな表情で喜びを語っていたことがそのことを何よりも物語っている。

 

そして、これは大学側のバックアップ体制がしっかりしているという背景もあるが、現代においてこんなすごい学生のチ-ムを作り上げたのは驚異とも言える。

だが、見方を変えれば、他大学だってできないことはないのである。けっして帝京大の選手だけが入学時、突出してすごいレベルだったわけではない。岩出雅之監督は、大学スポ-ツの在り方についても一つの成功例を示しているように思える。

 

ただ、1年間かけてチ-ムを強くしたからここまでのチ-ムになったんだという見方もできるだろうが、昨春はさすがに無理でも、昨秋戦っても帝京大はNECに勝てたかもしれないと私は思っている。ラグビーに関心のない方はご存じないだろうが、それぐらい今季の帝京大は強い。そして、これは少なくとも今後数年間は続くと断言してもいい。

 

まあ、私がここで遠吠えのように帝京大をトップリーグで戦わせたら?などと主張しても無駄なことはわかっているが、この日本ラグビーの宝のような選手達にどんどん高いレベルを経験させたいと願わずにはいられない。

 

最初に申し上げたように、世界のラグビーはどんどん進化している。4年後には日本でワ-ルドカップも開催されるのだ。帝京大の多くの選手達にはこれからの日本を背負っていってほしい。そのためには、80分で身に付く技術を1年もかけて身に着けるような遠回りはしていてほしくない。

歓喜にむせび、抱き合う帝京大の選手たちの姿を見ながらそんなことを感じた日本選手権1回戦だった。 


四家秀治(よつやひではる)

1958(昭和33)年8月18日千葉県松戸市生まれ

1977年海城高校卒

1983年同志社大学卒

RKB毎日放送アナウンサーを経てテレビ東京アナウンサー、2011年テレビ東京を辞め、現在はフリー、

一貫して スポーツ実況アナウンサー、ほぼ全ての競技を担当してきた

2000年シドニーオリンピック、NHK、民放合同の実況アナウンサー混成チーム、ジャパンコンソーシアム16人の一人として派遣される

2003年第5回ラグビーワールドカップ(オーストラリア大会)テレビ東京地上波独占中継では、メイン実況アナウンサーを務める

 

著書に「西本阪急ブレーブス最強伝説」(言視舎)

共著として「男泣きスタジアム」(彩流社)

     「ラグビー名勝負伝」(彩流社)

「BOXING名勝負大全」(白夜書房)など、

Vol 1. ソチオリンピック 

 今年のスポーツ界は、

 ワールドカップ(FIFAワールドカップ)と、すでに終わってしまったが冬季オリンピックソチ大会がなんといっても大きなイベントである。

 もちろん、世界では、毎年全ての競技で、世界選手権とは限らないまでも大きな大会が必ずあり、日本国内は、いつものようにプロ野球、Jリーグ、ゴルフ、大相撲・・・etc.それぞれの競技でそれなりに盛り上がるだろう。

 競馬はもうじき春のクラシックシーズン(近年こういう表現はあまり使わないが)であり、単なるギャンブルの枠を超えた扱いをNHKがしたりする。

 スポーツ好きの私にオフシーズンはない。

 さて、現代は超スピード時代であるが故に、もうすでに忘れ去られようとしているが、まずはソチオリンピックについて振り返りたい。

 ソチの報道はフィギュアスケート中心であった。今回は男子で日本人が初めて金メダルを獲ったということもあり、男子についても盛りだくさんだったが、ソチ前は女子、それもほとんど浅田真央オンリーであった。しかも浅田真央のフリーの演技は日本時間の深夜というより早朝だったにも関わらず驚異的な視聴率だったと聞く。

 いったいいつから日本人はこんなにフィギュアスケートが好きになったんだろう?

 私にとっての冬季オリンピックは1972年の札幌大会からである。

 あの大会の人気No.1も確かにジャネット・リンというフィギュアスケートのアメリカの美少女だった。では、日本の女子の代表は誰だったか皆さん覚えているだろうか?

 山下一美である。

 あくまで私と同年代以上限定だが、「私はフィギュアスケートが大好きなんだ」とおっしゃる方ならこの名前を覚えていることだろう。山下一美は、あの一大イベントであった札幌オリンピックの日本フィギュアスケート界のヒロインなのだからこれはフィギュアスケート基礎知識と言っても過言ではない。「別にフィギュアスケートはそんなに好きじゃないから」というならともかく「フィギュアスケートが好き」とおっしゃるなら知っていなければいけない名前である。

 残念ながら山下一美は、入賞が期待されたが一桁の順位にも入ることはできなかった。

 よくがんばっていたが、素人目に見ても技術的には到底上位に行けるようなレベルではなかった。

 山下一美を覚えている方、忘れた方、知らない方・・・はともかく、では、日本人がいつからフィギュアスケートが“こんなに”好きになったか?だが、それは、おそらく浅田真央の出現からである。

 近年「フィギュアスケート◎×大会」やら「◎×▼オンアイス」などといったフィギュアスケートの中継がやたらと多くなった。

 10年程前とは比較にならない。これは、浅田真央だけではなくそれに絡むライバルたちの存在も大きいのではないかと思われる。ストーリーを作りやすいし、男子も日本勢にそこそこ粒が揃っている。つまり浅田真央以外の役者がそろっていることもフィギュアスケート中継大幅増につながった大事な要素なのだという推理が容易に成り立つ。

 実は、日本のフィギュアスケートが結構強くなったのはそんなに最近ではない。佐野稔が1977年の東京世界選手権で銅メダルを獲ったのが、オリンピック、世界選手権で、日本人が男女を通じて獲った初めてのメダルである。このとき佐野はフリーだけなら1位だったのだ。だが、この世界選手権は東京で行われていたにも関わらず男子フリーの生中継はなく、深夜録画だった。その時代、女子ではすでに渡部絵美がグングン力を付け、世界で表彰台を狙えるレベルにまできていた。札幌からわずか5年で、日本のフィギュアスケートは長足の進歩を遂げたのだ。それでも、テレビのフィギュアスケートの扱いはそんなものだったのである。札幌のジャネット・リンの人気も、当時すごかったような印象があるが、世間一般の関心というレベルで考えればそれほどのことはなかったということになる。

 日本のフィギュアスケートのその後についてはあまり説明の必要はないだろう。伊藤みどりという天才少女の出現と、イナバウワーだけがやたらと有名になった荒川静香の2006年トリノオリンピック日本フィギュアスケート界初の金メダルといったところだけをここでは強調しておく。

 でも、荒川静香も伊藤みどりも浅田真央ほど騒がれたかといえば、ここで具体的な数字は出せないが、これもたぶん大したことはないのである。荒川静香のトリノでのフリーの演技も日本では深夜だったが驚異的な視聴率だった記憶はない。伊藤みどりも1992年のアルベールビルオリンピックで銀メダルなのだ。

 今回のソチほど役者が揃っていなかったからなのか?それとも(私はそうは思わないが)伊藤みどりや荒川静香より浅田真央が可愛いからか?

 トリプルアクセルがすごい?私にとってはビールマンスピンを最初に見たときのほうが衝撃だった。

 ところで、私はスポーツ全般が大好きだが、フィギュアスケートはあまり好きではない。

 もともと採点競技そのものが好きではない。それはなぜかといえば、採点にはいろいろな基準や規定があって加点されたり減点されたりするのだろうが、私が納得いく採点にはお目にかかったことがほとんどなく、ストレスが溜まるからである。フィギュアスケートはそれに加え、ショートプログラムならまだしもフリーは演技時間が長い。私が知っている採点競技の中で最も長く(男子4分30秒、女子4分)、しかも採点の度に、なぜだ?!となる。

 フィギュアスケーターのアスリート能力が高くないわけでないのはよくわかっているが、ストレスを溜めるためにわざわざ観たいとは思わないのである。だから、あくまで私の感覚だが、睡眠不足になってまでソチの浅田真央のフリーの演技を生で観るというのは理解できないのだ。

 フィギュアスケートが好きな人はストレスが溜まらないのだろうか?

 スポーツ観戦には普段全く興味を示さない今年で84歳になる私の母は昔から「フィギュアスケートは好き」と言ってはばからない。そのあたりにフィギュアスケート人気のヒントがあるようにも思うのだが・・・。

 さて、私が冬季オリンピックでいつも最も関心があるのは4人乗りボブスレーである。冬季オリンピックの競技の大半は雪と氷に覆われた中での生活手段、その延長線上のものである。ボブスレーは、スキーやスケートができなくても雪と氷の中で移動することができる便利な乗り物、ソリである。4人で最も目的地に早く着くことを競うのが原点となっている4人乗りボブスレーはいつも大会最終日に行われるように、ある意味冬季オリンピックの華なのだ。

 ジャマイカ人の挑戦が元になってできた映画「クールランニング」以来、それまでよりは注目されるようになった4人乗りボブスレーだが、私は札幌オリンピック以来この競技が大好きで放送されたら必ず観る。

 100分の1秒を争う極めてシンプルな競技であり、私にとっては間違いなくフィギュアスケートより面白い。

 ただし、氷上のF1と言われているように、マシンの優劣によってタイムが全然違ってくるので、マシンの開発に力を入れているとはいえない日本のボブスレーが世界と伍して戦う日がくるとは到底思えないのがはなはだ残念である。


四家秀治(よつやひではる)

1958(昭和33)年8月18日千葉県松戸市生まれ

1977年海城高校卒

1983年同志社大学卒

RKB毎日放送アナウンサーを経てテレビ東京アナウンサー、2011年テレビ東京を辞め、現在はフリー、

一貫して スポーツ実況アナウンサー、ほぼ全ての競技を担当してきた

2000年シドニーオリンピック、NHK、民放合同の実況アナウンサー混成チーム、ジャパンコンソーシアム16人の一人として派遣される

2003年第5回ラグビーワールドカップ(オーストラリア大会)テレビ東京地上波独占中継では、メイン実況アナウンサーを務める

 

著書に「西本阪急ブレーブス最強伝説」(言視舎)

共著として「男泣きスタジアム」(彩流社)

     「ラグビー名勝負伝」(彩流社)

「BOXING名勝負大全」(白夜書房)など、